第四十一話:悪魔の契約
語り手:マレーネ・ド・ノートルダム
つづき
自分じゃどうしようも無いとき、神様にお願いするのはどの国でも同じよね。
でも、お願いする相手は神様だけじゃないわよ。
あなた、悪魔と契約したいと思ったことはない?
神様にお願いしたところで、本当に叶うかは分からないわ。でも、悪魔はちゃんと願いを叶えてくれるの。ただし、代償が必要だけど。
これは私が子どもの頃に聞いた昔話よ。
むかしむかしある所に、とても貧しい男がいたの。
男は真面目で働き者だったのだけれど、どれだけ懸命に働いても暮らしが楽になることはなかったわ。
その頃の身分というものは絶対的なものだったの。
もともと身分が高くない男がどんなに働いても、裕福になれることはなかったのよ。
ある日、男のもとに一人の悪魔が訪れたの。
悪魔はこう言ったわ。
「お前の願いを何でも叶えてやろう。その代わり、お前の死後、その魂を私におくれ」
でも、男はそれを拒んだ。
「私には、悪魔に魂を売ってまで叶えたい願いなど無い」
それを聞いて、悪魔は可笑しそうに笑って消えた。
ある日、とうとう生活費が底をついた男の元に、あの悪魔が現れた。
「山ほどの宝石をお前にやろう。目が眩む程の金貨も」
けれど男は首を振ったわ。
「私にはそんなにたくさんの宝石もお金も必要ない」
悪魔は可笑しそうに笑って消えた。
別のある日、食べるものがなくてお腹をすかせた男の元に、あの悪魔が現れた。
「食べきれない程のご馳走をお前にやろう。溢れるほどの葡萄酒も」
けれど男は首を振ったわ。
「私にはそんなにたくさんのご馳走も葡萄酒も必要ない」
悪魔は可笑しそうに笑って消えた。
また別のある日、粗末な家ですきま風に震える男の元に、あの悪魔が現れた。
「見上げる程の立派な家をお前にやろう。煌々と炎が燃える暖炉も」
けれど男は首を振ったわ。
「私にはそんなに立派な家も暖炉も必要ない」
悪魔は可笑しそうに笑って消えた。
別のある日、亡くなった母親のお墓参りをする男の元に、あの悪魔が現れた。
「もう一度母親に会わせてやろう。顔も覚えていない父親にも」
けれど男は首を振ったわ。
「私には二人との再会など必要ない。いずれ天国で会えるのだから」
悪魔は可笑しそうに笑って消えた。
それから随分経った別のある日、幼なじみの女の子が結婚する前夜、悪魔は男の前には現れなかった。
子どもの頃から好き合っていた相手と、男は結ばれることはない。お金もなく、家も粗末で、両親もいない男では、彼女を幸せにすることはできないから。
たとえ目の前で女の子が泣いていたとしても、男には何もすることができなかったの。
「私に財産があったなら、そうしたら彼女を幸せにすることができるのに! 死後の魂などよりも、彼女を幸せにできる今がほしい」
悪魔は可笑しそうに笑って現れた。
「その願い、聞き届けた」
裕福になった男は、立派な家に住み、食べきれない程の食べ物に囲まれ、輝く宝石で妻になった幼なじみを着飾らせた。
それはそれは幸せな毎日だったそうよ。
ねえ、あなたならどうする?
死後の魂と引き替えに、今の幸せを手に入れられるとしたら。
私にこの話をしてくれたお爺さんは、こう言っていたわ。
「生きている間の幸せは何物にも代えがたい。けれど、死後に待ち受けているものへの恐怖は、それを少しずつ蝕んでいくものさ」
とても裕福で、食べきれない程の食べ物があって、大きな家に住み、たくさんの宝石を身
につけた綺麗な奥様と仲睦まじく暮らしていたお爺さんだったのに、どこか昏い目をしていたのは、どうしてだったのかしらね。