第五十八話:明りの消えたビル
語り手:花房そら
つづき
これで、何回目かなあ? わたしが話すの。
もうそろそろ、話すことなくなっちゃいそう。ふふ。
しょうがないから、この間聞いたばかりの話でもしようかな。
私のお友達に、田良島君って人がいるんだけどね。
ある会社にお勤めなんだけど、残業が多いらしいの。
でも、今ってわりとそういうのに厳しいじゃない?
あんまり会社に残らないように、って、決まった時間を過ぎると会社内の明かりが全部消されちゃうらしいの。
こっちの仕事の多さも知らずに、厄介な決まりだけ作りやがって、って怒ってたわ。
そんなだから、深夜を過ぎても仕事をする時は持ち込んだ電気スタンドと、窓から入る外の光だけが頼りなのね。
外が暗いときは、見えるのはせいぜい自分のデスクの周りだけ。そんなところで一人作業するなんて、ちょっと怖いわね。
でも、仕事が立て込んでる田良島君は、そうも言ってられなかったのよね。
その日も、一人パソコンとにらめっこしながら仕事に取り組んでた。
人がいないビルって、意外と物音が響くのよね。
自分がキーを打つ音も昼間より大きく聞こえたし、廊下を歩いてくる誰かの足音もはっきり聞こえてきたの。
最初は警備会社の人だと思ったんですって。残業してると、よく顔を合わせたそうだから。
廊下を歩きながら、ドアを開ける音は近づいてきていたわ。
この部屋のドアが開いたら、お疲れ様ですって声をかけるくらいはしないとな、って思いながらパソコンの画面を見つめていると、背後でガチャリとドアが開く音がした。
田良島君は顔を上げて振り返ったんだけど、何も見えなかった。
その日は月明かりもなかったし、部屋は暗かったから。田良島君の電気スタンドの明かりだけじゃ、遠い入り口の方までは照らせなかったみたい。
何となく、おかしいなって思ったの。
ドアが開く音はしたから、誰かが入ってきたはずなのに。
確かに、誰かは入ってきていたのよ。だって、真っ暗な部屋にコツ、コツと足音が響いていたんだもの。
ちょうどその時、田良島君の机の上で、電気スタンドの明かりが消えたわ。部屋は真っ暗になった。
電池式だったから、電池が切れたのかなって思ったの。でも、それにしては突然ぷつんと消えたんだけど。
何とかして明かりが点かないかな、って思って手を伸ばして…気付いたの。足音の主は、警備会社の人じゃないって。
いつもなら、警備の人は懐中電灯を片手にビルの中を見回っているはずなの。だから、部屋の中が暗闇なのはおかしいわ。
じゃあ、入ってきたのは誰なのかしら?
残業してた同僚? だったら声くらいかけるわよね。
もしかして、強盗かもしれない。
近づいてくる足音にそう恐怖した田良島君は、とっさにパソコンの画面を切ったわ。部屋の中の明かりは、もうそれだけだったから。明かりがついたままじゃ、いい目標になっちゃうものね。
でも、完全に暗闇になった部屋の中で、足音は迷うことなく近づいてきたの。
何も見えないのよ? なのに、ぶつかったり、つまづいたりすることなく、まっすぐに近づいてくるの。
コツ、コツ。
近づいてくる足音に、田良島君は固まって動けなくなってしまったわ。本当に怖い時って、動けないものなのね。
足音は、もうすぐそこまで来ていた。
田良島君は、おそるおそるそっちを見たの。目も暗闇に慣れてきていたはずなのに、そこには誰もいなかった。
ぼんやりと部屋の中は見えるのよ。でも、人影はどこにもないの。
ただ、足音だけが近づいてくる。
あまりの恐怖に叫び出しそうになった時、またドアが開く音がしたの。
「誰か残ってるんですか?」
声と一緒に懐中電灯の光を向けられて、田良島君は安心のあまりその場に座り込んでしまったんですって。
入って来たのは警備会社の人だったわ。
田良島君は今の出来事について震えながら話したんだけど、その人は何でもないように頷いたの。
「よくあるんです、そういうこと」
今までにも、残業中にその足音を聞いた人が結構いたんですって。
特にいわくがある場所に建ってるとか、恨みを買っている会社でもなかったんだけど、でもそういうことってあるのよね。心霊現象っていうの?
「特に何かされたっていう話は聞きませんから大丈夫ですよ」
って言われてほっとしたような、複雑な気持ちだったんですって。
だってほら、実害がないなら残業は続けなきゃいけないでしょ?
その後も真っ暗なビルの中で、田良島君は何度か足音を聞いたみたい。
サラリーマンも、大変よね。